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2005年9月30日 (金)

日光

明日は日光に行ってきます。例によって神社巡り(笑)。怪しい旅を満喫してきます。

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2005年9月27日 (火)

登りすぎた龍

ダイエーの中内功さんの人生が描かれた本や番組を見ると、なんだか切ない気持ちになってしまう・・・。

中内さんは、青年期は偉大な英雄であり、後半は醜悪な老害と成り下がった。なんで、彼のような英雄が、人が変わったように転落するのだろうか。歴史に見ると、そういう人生をたどった英雄は珍しくない。漢王朝を開いた劉邦といい、豊臣秀吉といい、青年期のイケイケヒーロー的なキャラクターが、天下人になったとたんに、発狂したんじゃないかと思うくらいのダメ老人と化したのだ。

どうやら、「偉大な英雄」と、「醜悪な老害」は、同じベクトル上にあって、両者の差は、1ミリくらいしか違いはないようである。そう思うと、なんとも切なくなるというか・・・。神様って残酷じゃねえの?1ミリくらい踏み外しちまうよ、人間だもの・・・。などと思うんである。

今、私は易を勉強していて、文字通り安易(安い易)にやってるんだけど。安易ながらも、勉強していると、易って、残酷なまでに人間や宇宙の真理を描いてるのだなと痛感する。

英雄とは、易でいえば「乾為天」」(けんいてん)にあたる。

易には64卦あって、一番最初に出てくる卦が「乾為天」という卦。君子の卦、昇竜の卦とも呼ばれている。で、同じ乾為天の中でも、初爻(こう)、2爻、3爻、4爻、5爻、上爻と、6つのレベルがあって、その爻(こう)によって吉凶が決まってくる。

初爻では龍がむっくりと田んぼから出てきて、2爻では頭角を現しはじめ、3爻、4爻でどんどん天に昇っていって、5爻まで登ったときの龍は、理想的な君子として、世の中を変えることができる力を持った状態で、最高のイケイケヒーローである。現代で言えば、ちょうど今の小泉首相のようなものね。

で、そこまではいいんだけど、5爻を過ぎて上爻まで登ってしまうと、今度は「登りすぎた龍」として、凶作用を及ぼし始める。

人間は地上とつながっていなければならないため、登りすぎた英雄は、必死に地上とつながろうとする。でも、一度地球の引力圏から離れてしまうと、もう戻ることはできない。登りすぎた龍は、それでも地上とつながっていたいため、心の中に極陰の要素を取り入れて、必死にバランスを取ろうとする。極陰の要素、つまり猜疑心とか嫉妬心とか。こうして、英雄たちはどんどん老害になりさがる。

英雄が転落していくのは、こういう理由からなのだと思う。

まあ、易についての解釈は人それぞれだから、異論はあるのかもしれんが。とにかく、私は「乾為天」の中の「5爻」と「上爻」。これが隣り合わせていることを思うと、悲しいなあと思ってしまう。「5爻」のイケイケヒーロー。「上爻」のダメダメ老害。その差は、たったイッコしかないのだ。384コもある易なかの、たったイッコ。筮竹で言えばたった一本の差なのだ。

これって、どうよ?残酷だよマジで・・・。

君子の器を持った人にしか開けない道というものはある。生まれながらに龍の宿命を背負った人々は、その登る力の強さゆえに偉大な事業を成し遂げ、そして転落していった。

私は、彼らが作った偉大な道のりを、当たり前のように歩いてる。中内さんが起こした流通革命によって、後のコンビニや百均ができたのであれば、そのコンビニを、普通に使ったりしてるもんね。

今の豊かな生活は、彼らの「龍の転落」という犠牲の上に成り立っている。私としてはせめて、中内さんに感謝しながら生活していこうと思う。

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2005年9月23日 (金)

お礼状

ありがたいことに、最近、公私ともに素敵な出会いに恵まれている。

その中である事実に気がついた。「成功」と「筆まめ」は比例する。お金や地位を手に入れ、人格的にも練れている人は、筆まめである。

しかも、電子メールではなく、手書きの文字で手紙を書く。もちろん、メールも使うのだろうが、ここぞという時は手書きで書く。電子文字が氾濫する現代社会では、手書きの文字の方が、より威力を発揮することを体でわかっているのだろう。

そして、そのお手紙を読むと、一瞬で「書き慣れている!!」ことがよくわかる。よくある「お礼状の文例集」本に出てくるようなかしこまった文章じゃない。とても自然な文体で、その人の人柄があらわれていて、親しみやすい砕けた文章で、かつ失礼じゃない。しかも、一発でさら~り、と書いていると思われる。(筆ペンがかすれてたりするので、かなりのスピードであろう。)

カッコいい・・・!!思わず感動!!

これ、口で言うのは簡単だけど、実際には、そう簡単に書けるものじゃないんだよ。

私も最近はお礼状というものを書くようになった。そして、いかに手書きの文章を書くと言うことが難しいかを痛感した。いや、本当は難しいわけじゃない。私が勝手に難しくしているというか。要するに、何がいいたいのかというと。

手書きの文章は、すっぱだかの自分が現れる。

これ、悲しいくらいそうなんですわ。試しに、「ありがとう」という言葉を使って、お礼状を二枚くらい自筆で書いてみるといい。書けねーーーーから!!

メールやブログなら、いくらでも言葉が出てくる。「いつでも書き直せる」という安心感があるからだ。だけど、書き直せるということは、「いくらでも自分を作れる」、もっと言ってしまえば「偽れる」ということでもある。だからすらすらと書けるのかもしれない。

手書きの文字だと、メールのようにはいかない。まず、書き出しに悩む。やっと書き出した文章は、よく読むとやたらとたどたどしかったり慇懃無礼だったりする。しまいには「ありがたう」とか「有堅う」とか、普通は絶対に間違えないような誤字脱字が出てくる。細心の注意を払って「ありがとうございました」と無事に書けたとしても、三行後に早くも「ありがとうございました」と二度繰り返す。それも注意してクリアしても、今度は字がバラバラだったり曲がっていたり。

そんなこんなで、苦労してやっと書き上げた後、読み直してみれば、見事に滲んだ文字が羅列している・・・。ゆっくりと書きすぎているのだ。か、カッコわるいよコレ・・・。

実際、書いてみてわかった。手書きの「ありがとう」は、日頃、周りに感謝して生きていないとうまく書けないのだ。つ~ことは、今の私は、周りに全然感謝していないことになる(笑)。いや、笑い事じゃないっっ!!

きっと、一発でささ~り、とお礼状の書ける人は、常に周りに感謝して、常に感動して生きているに違いない。私が素直に「カッコいい!!」と思うのは、彼らのその生き方を感じ取っているからなのだろう。

というわけで、現在お礼状書きの猛特訓中(笑)。めざせ一発ささ~り女。

「特訓してる時点で素直なお礼状じゃない」などと突っ込まれそうではあるが・・・。実を言うと、私は今、お礼状を書くのに3回くらい書き直している(笑)。いや、これでも上達したのよ?最初の頃なんて5,6回書き直してたからねえ。しかし、書き直している時点で、メールと変わらないよな・・・安心感があるもんね。これはイカン。

安心感があるということは、スポーツにたとえれば、練習試合のノリだ。練習試合でいくらうまくやったところで、本番で集中できなくちゃ意味はない。

人生のフィールドは、いつでも本番なんだもんね。

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2005年9月20日 (火)

反省・・・

長良川龍一さん、ごろーさん、ネコミミさん、温かいフォローありがとうございました。

私としては、議論を避ける意味で書いたつもりの記事でしたが、後日、冷静になってから読んでみると、敵前逃亡というか、ちょっと斜に構えた記事になってしまいましたね。

せっかく時間を割いてこのブログを読んでくださっている読者の方々にとっても、先日の私の記事を見て気を悪くされた方がいたら、本当に申し訳ありませんでした。反省します。

今後もよりよい記事を書くように努めますので、よろしくお願いします。

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ラピュタ君

昔から、議論というものが苦手だった。

なぜかというと、自分の中にある、「ラピュタ君」が活動し始めるからだ。

「ラピュタ君」とは、「天空の城 ラピュタ」から勝手に取って命名したもので、おそらく、地球上にいるすべての人間の中に住み着いているキャラクターである。

人間、誰でも理想は持っていて、心の中に天空の城を構築している。天空の城、つまり、地球上の物理法則を無視した、悪く言えば非現実的、よく言えば理想的なお城を構築するのである。これ、人間なら誰でもやってると思う。それがなくちゃ生きていけないからね。

そのお城をせっせと構築するキャラクター、それを私は「ラピュタ君」と呼んでいる。

「日本人は議論ができない」とか、「ネットはネタ文化」などとはよく言われることである。要するに、議論が空転してしまうのは、「日本の文化」とか「ネットの匿名性」とかに理由があるといいたいのだろうけど、私は違うと思う。日本人だろうがアメリカ人だろうが、ネットだろうが口論だろうが、議論が空転するときは空転する。その本当の理由は、誰の中にも存在する、「ラピュタ君」にあるんじゃないだろうか。

世の中は不思議なもので、頭のいい人ほど、想像力に長けている人ほど、この「ラピュタ君」にとらわれやすいようである。

考えてみれば当然だ。想像力のある人は、それだけリアルにお城を構築できるわけで、彼らの心の中には、宮崎駿も真っ青になるくらいの、リアル~なお城が厳然と鎮座しているのだ。その城はあまりにもリアルであるために、天空にあることを忘れてしまう。でも、現実は天空にあるのだから、現実の人達はそのお城に到達することができない。それは、彼らにとってとても歯がゆいのだろう。つい、彼らの口から本音が漏れる。「お城に到達できない奴らがバカなのだ」と。全く、自然な心の動きである。

もちろん、他人の人格をさげすんだりバカにしたりすれば、それは争いのモトになる。その人達が悪いわけじゃない。「ラピュタ君」にとらわれると必然的に起こる、いわば化学反応に近い現象である。

だから、ラピュタ君には極力とらわれないように努力したいところなのではあるが・・・・

私のようなアホですら、ラピュタ君にとらわれる時がある。頭のいい人達なら、なおさら、ラピュタ君の奴隷となりやすいのではないか。断っておくが、私は、ラピュタ君にとらわれている人達を批判するわけではないことをわかっていただきたい。なにしろ、私も例外じゃないのだから。

特にブログや掲示板、電子メールなどでは、ラピュタ君が活動しやすい世界のようである。議論が空転し、最後には阿鼻叫喚のるつぼとなっているブログや掲示板を時折見かける。これが怖くて、ブログを開設する勇気のもてない人はたくさんいると思う。ブログは、可能性のあるツールであるだけに、非常にもったいないことだと思う。

そこで提案なのだが、「ラピュタ君」とみんなで付き合うことにしたらどうだろうか。

ラピュタ君にとらわれている人がいたら、その人自身を責めるのではなく、その人の中にある「ラピュタ君」に突っ込みを入れるのである。

例:な~に、お前、ラピュってんだよ~、べし!(胸を叩く)

・・・という感じに。

ラピュタ君にとらわれやすい人の多くは、頭あるいは想像力がよく、そして誠実で純粋であると思う。少なくとも、私が今まで出会ってきた「ラピュタ君にとらわれやすい人」はそういうタイプだった。だから、彼らの人格を全否定すべきではないと思う。

私たちは、できれば誠実で純粋でありたいと思っている。「ラピュタ君」は万人の中に存在する。だからこそ、みんながそれぞれ、自分の「ラピュタ君」を意識する必要がある。

それが出来れば、議論が空転する前に、現実に立ち返ることができるのではないか。そして、実のある議論を展開することができるのではないかと。

・・・甘いだろうか・・・これこそ、天空の理想論だろうか・・・。

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2005年9月15日 (木)

飛び火

なんか、いきなり飛び火してきた・・・。

404 blog not found さん(以下、小飼氏)からTBがありました。下に引用します。(青が小飼氏、黒が引用された私の文章。

どうやら、小飼氏の想定する「民」の中に私を無理矢理あてはめたいらしい。私は議論する気はさらさらないので、むにゃむにゃと言い訳だけしようと思う。

ここで典型的な民の声を紹介しよう

小福のへりくつ: 自民党圧勝! 

もっとも、そうならないように、竹中大臣はじめ優秀なブレーンが小泉首相を支えていて、安全に着陸できるように努力してくれるのだろうけど、私たち乗客としては、パイロットである彼らの操縦のウデを信じるしかない。

そう。民様は操縦などという下賎なことはしない。飛行機の設計に疑問を抱いたり、操縦の方法を考察したりなどという事は他人の仕事であって自分の仕事ではない。信じる者は救われるのであろうか、それとも足下を掬われるのであろうか。ソビエトもナチスも民意の産物であったっけ。

ええと、それは議会制民主主義というものでしてねむにゃむにゃ・・・それとも小飼氏は、飛行機に乗るときにパイロットにいちいち操縦法を指図するんですかねむにゃむにゃ・・・。

そんな民も、自国の政府は信じても自国の通貨を信じないのだから不思議だ。

自国の通貨を信じていなければとっくに国外脱出してますむにゃむにゃ・・・それとも、小飼氏は有事に備えるという感覚はないんですかねむにゃむにゃ・・・。

とにかく、私にできることはしておこうと思う。せめて、有事に備えようかと。とりあえずインフレ対策をば・・・。今、私は米ドルを少しずつ買い始めている。

一票は入れても国債は買わない。それが民様というものである

ええと、一票入れたら政党のやることはすべて妄信しなくちゃならんのですかねむにゃむにゃ・・・だとしたら小飼氏の「飛行機の設計に疑問を抱く」とかなんとかいう意見と矛盾するのではむにゃむにゃ・・・。

まあ、単なるいいわけである。だからむにゃむにゃと言ってる。凡民の私にとっては、むにゃむにゃと答えるしかすべはないのである。

繰り返すが、私は議論する気はまったくない。小飼氏ほどのインテリでもない凡民の私にとっては、議論などおそれおおくてとてもとても・・・。だから、TBはあえてしないでおく。ただ、私の記事で小飼氏のような解釈をされる方がいるのであれば、私の文章力のつたなさである。ここに誤解を解いておきたい。

私としては、自民圧勝でちょっと浮かれムード過ぎるので、たとえ自民に一票入れた人であっても、小泉政権に過大な期待をするのではなく、自分でやれることはやっておいた方がいいんでないの、と提案したかっただけだ。

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2005年9月13日 (火)

恨(ハン)

韓流ドラマにハマっている。

今、真剣に見ているのが「天国の階段」。むっちゃくちゃ、面白れ~~!!クオン・サンウがカッコいい~!!なにしろあーた、海辺でピアノ弾いたりしてますからな。ピアノ弾いてるときに、満潮になって水浸しになってたりしますからな。なにかっつーとウインクしたり、涙を流したり、あるときはシンデレラ&王子様のコスプレしてましたぜ。た、たまらん・・・。

そんな、突っ込みどころ満載のドラマであるはずなのに、何故か、いつのまにか感情移入してしまう。これは、日本のドラマではあり得ないと思う。やはり、韓国独特の感情である恨(ハン)が丁寧に描けているからでしょう。恨(ハン)とは、別に恨みつらみというものではなく、深い悲しみ無念さ、という意味であるらしい。

実際、韓国ドラマは、悪役の描き方が非常~~に、すばらしいのよね。悪役の台詞の精度は、本物だと思う。その人、その時、その感情、語る相手、どれが違っていても、この台詞にはならなかったであろう、まさに本物の台詞。

「私は昔(貧しかった頃)、大声を張り上げなければ、私の言うことに誰もミミをかたむけてくれなかった。あなたに、その気持ちがわかる?」

これ、悪役の女がヒロインに言い放つ台詞なんだけど、リアルですなあ・・・。思わず、こっちに共感したくなるよなあ。

悪役の台詞とキャラクターがあまりにもすばらしいがため、ついつい、愛の台詞も本物のような気にさせられてしまうんだな・・・。たとえ、海辺でピアノを弾こうが、王子様のコスプレしてようが、そんな場面もリアルに見えてしまう。そしていつの間にか、私は夢見る少女に相成っている・・・35歳のおばはんが。

これぞ、韓流マジック!!すばらしい!!これぞ究極のエンターテインメント!!

このドラマ、おばさんだけのものにしておくのはもったいないよ。10代の若い女の子にこそ、見て欲しいと思うね。若い女の子に受けるポテンシャルは、十分あると思うけど。今は、食わず嫌いというか、敬遠されているだけなんじゃないのかな。「なんか、おばさんと一緒になるのがダサイ」みたいな。

だけど、これって逆に言えば、商機でもあると思う。ユニクロだって、最初はおばさんとおじさんの洋服だったけど、原宿店をオープンしてから、若い女の子にウケて、全国に波及して、ユニクロブームが始まった。それと同じように、韓流ドラマは、きっかけさえあれば、若い女の子にこそ受ける要素が満載だと思うよ。

ま、きっかけを作ることが難しいのかもしれんが・・・。

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あれ?

ココログの調子が悪いんだろうか?

TB先の皆様、連続投稿してしまってるかもしれません。お許しを。

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自民党圧勝!

木村剛さんのブログでTB&掲載していただきました。木村さん、TBしてくださったブロガーの皆さん、ありがとうございました。

いや~、自民党圧勝しましたな。ビックリ。ここまで圧勝するとは、正直、思わなかった。マスコミのほとんどは、「反自民」を掲げて、小泉首相がヒトラーだの、小池百合子氏のミニスカで悩殺だの、佐藤ゆかり氏の不倫メールだの、色々書きまくっていたからなあ。あれだけの記事が書かれていたら、少なからず票に影響するかな、とも思ったが。結果は、自民大、大圧勝に終わった。今の国民は、マスコミに踊らされなくなったのかもしれない。

ただ、これで郵政改革が進んでも、いきなり日本がよくなるとは、私は思っていない。あれだけ小泉首相をベタ褒めしといてこういうのもナンだけど。政治なんて10年スパンで評価されるものだから、小泉首相の行動力が本当に評価されるのは、もしかしたら何十年か先かもしれない。

だって、小泉首相はハッキリと「痛みをともなう改革」って明言してるんだもんね。これから行財政の大外科手術が始まれば、血は出るわ副作用は出るわ、することも覚悟の上、ってことだと思う。

東洋医学では、不健康な体を治療すると、メンゲン現象といって、一時的に体の調子がおかしくなることがある。ダイエットとかすると、吹き出物ができたりするでしょ、あれも軽いメンゲン現象のひとつ。体から毒素が抜けている状態なんだけど、それを通らないと健康にはなれないみたい。

経済だって政治だって同じだと思う。治療を始めれば、毒素が表面に出てくるかもしれない。一時的に、経済状態が悪くなったりすることもあるかもしれない。私は素人なので詳しいことは言えないけどね・・・。

仮に、小泉改革が財政悪化を引き起こした場合、それこそ私たちが選んだ結果なので、これは受け止めたいですな。・・・受け止められるだろうか・・・。ううむ・・・。ちょっとだけ恨んじゃうかも・・・こら、私は自民党に票入れといて何言ってんだ・・・。だがしかし、人間はそんなもんですからなあ・・・。

もっとも、そうならないように、竹中大臣はじめ優秀なブレーンが小泉首相を支えていて、安全に着陸できるように努力してくれるのだろうけど、私たち乗客としては、パイロットである彼らの操縦のウデを信じるしかない。

とにかく、私にできることはしておこうと思う。せめて、有事に備えようかと。とりあえずインフレ対策をば・・・。今、私は米ドルを少しずつ買い始めている。インフレ対策のつもりで買ってるんだけど、最近、アメリカもインフレ起きそうな気配なので、なんか不安になってきてしまった・・・。ブロガーの皆様、いい対策があったら教えてくださいませ。

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2005年9月 5日 (月)

秋ですね

momiji1

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2005年9月 4日 (日)

マクロビカレー

カレーを作りました。

なんと、カレールウから作ってしまいました。市販のルウじゃなくて、小麦粉を炒めてカレー粉を混ぜて作るというやつ。あれには砂糖が入ってないので、甘みを出すためにタマネギのみじん切りを40分くらい炒めたりしなくちゃならんのよね。めちゃくちゃ面倒くさい。

40分も炒めてられないので、20分に短縮。甘みを出すために、ジャガイモの量を半分にして、その分カボチャを追加した。カボチャの甘みでカバーできるんではないかと。

汗だくになりながら、死闘2時間、カレーは出来た。さて、味見をすると・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・甘辛い・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

カボチャの甘みとルウの辛みが完璧に分離してしまっている!!初めて体感したよ。甘みと辛みって、舌で感じる場所が違うんだっていう事実を。いや、知識としては知ってたけど、まさか実体験で感じられるとは。ほんと、それくらい見事に分離してましたわ。

しょうがないので、市販のルウをひとかけらだけ入れてつなぎにしてみた。畜生・・・こんなことなら初めから市販のルウを使うんだったよ。ま、できあがったカレーはなかなかうまかったからいいけどね。

最後に、なんとなくグリーンピースを入れてみたら、これがかなりマッチした。豆って微妙に甘いので、いい感じに甘みと辛みをつないでくれるんだね。新しい発見。肉より豆を入れた方が合うかもね。

おお~、上記のレシピって、完全にマクロビオティック料理じゃないの!!マクロビレシピに入れておこう~っと。

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2005年9月 2日 (金)

サイボウズ爆上げ中

サイボウズ株価、噴いている。うっそ~、ってくらい噴いている。

あれから買い増ししているので、買値が上がってるんだけど・・・それでも倍近い水準に・・・ありがたや・・・神様仏様サイボウズ様。

こういうとき、株を始めてよかったな~、と心から思うよ。この快感はお金が儲かるとか、そういうことだけじゃない。それ以上の何かがある。強いて言えば、銀座のママが、当初から目をかけていた、新入社員のお客が、徐々に出世していくのをほほえましく見守るような。「あたしの目は確かだったわ」などと、自分の審美眼に自信を持つような。そんな快感に浸れるのが、株というものの醍醐味なのではあるまいか。

その意味でも、長期保有をオススメするよ。こういう快感は、短期筋では味わえん。

とにかく、やっと、サイボウズの真価が市場に評価されてきたみたいだね。まあ、サイボウズはまだまだこれからです。青野CEO他、経営陣、社員の皆様、頑張って会社を大きくしてください。楽しみに待ってます~。

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2005年9月 1日 (木)

公選法146条

木村剛さんのブログで、公職選挙法の話題が持ち上がっている。

公選法には、選挙期間中は、何人も、特定の候補者についての表示する文書を掲示してはならない、という条文がある(146条おもいっきり意訳)。これによると、私たち一般人でも自由に候補者のことを語ったりできなくなり、表現の自由を損なうのではないか、ということである。

実は私も、この条文を見て結構ビビっていた・・・。やべーよ、思いっきり書いてるよ、まじ~よおお・・・と思い、この2,3日は記事を書くのを控えてたのだった。

でも、条文にはこうも書いてある。

「第142条又は第143条の禁止を免れる行為として」。

上記の条文、142,143,146条とも、公職選挙法の13章、「選挙運動」について決められた規定である。だから、146条は、「選挙運動で禁止している行為を免れるために、小説だの演劇だのマンガだの、ブログだのを使っちゃならないよ」、と語っているに過ぎないのではないだろうか。

だから、要するに、ブログに書いてあることが、選挙運動の一環じゃなくて、純粋な「表現行為」であることが証明できれば大丈夫なんじゃないかしらん。

これでいくと、私のブログはセーフなのでは・・・希望的憶測だけど。

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