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2006年4月25日 (火)

太陽がいっぱい

物騒な世の中になったもんだ・・・

ついこの間、町田で高校生が殺されたと思ったら、今度は岐阜のパチンコ店前の殺人事件。どちらも恋愛のもつれが発端らしいが・・・。

この二つの事件、他人事だと思いたいのだが、どうもそうではないような気がする。世の中全体として、男と女が安定した関係性を保つのが難しくなってきているのではないか。

最近は芸能界ネタでも、ジェニファー・ロペスやチャーリーシーンが訴えたり訴えられたり。身近なところではだめんず・うおーかーよろしく、ダメ男にはまる女性がわんさといたり。テレビドラマだって、アリー・マイラブやセックス・アンド・ザ・シティ、ハッピーマニアなど、ヒット作の多くは、ダメ男にはまる女性の苦しい心境が描かれている。

なぜ、こんなにダメ男が多いのか・・・。

それは、男が悪いのだ!男の暴力性が、女性からすべてを奪い取るのだ。男達は、よく反省して、平和な世の中を築かなければならない!!

・・・なんて、男達を一方的に悪者にして、わかりやすい解決策を探るのもいいが、私は妄想癖があるので、ちょっと乱暴な仮説を立ててみた。

「最近の悲惨な事件は、女性たちの自立が大きな要因となっている!!」

その理由は以下に述べるが、ハッキリ言ってものすごく荒唐無稽なので、単なる漫画家の妄想として読んでいただきたい。

西洋科学が浸透しきってしまった今の世の中、どうしても「正・悪」の基準ですべてを計ろうとしてしまう癖が、私たちのアタマの中に染みついている。でも、恋愛とか、セックスとか、出産とか、死とか生とか、そういう命や心のぎりぎりのやりとりというのは、正しいとか悪いとかいう判断基準ではとてもはかれない。「正・悪」ではなく、「陰・陽」の基準ではかった方が、現実をより忠実にとらえることができると思う。

陰・陽ってなに・・・といわれると、どうも説明しずらいんだけど。例えば太陽が陽とすれば月が陰。夏が陽とすれば冬が陰。男が陽で女が陰。大人が陽で子供が陰。仕事が陽で家事が陰・・・てな具合に、世の中すべては陰・陽で構成されている、というのが陰陽五行説の考え方なんだな。要するに、「なんとなく活動的」なものは陽で、「なんとなくおとなしい」ものは陰、というふうに考えれば大方があっている。

で、男と女が惹かれあうように、陰と陽はお互いに引き合う性質を持っている。そして、陰と陽は二つでワンセットであり、陰だけ、陽だけ、という存在のしかたはあり得ない。陰があるから陽があり、陽があるから陰がある、という考え方をする。

だから、どんな事態であれ、「相手が必要としなければ存在しない」ものなのだ。暴力も、病気も、戦争ですら、「誰かが求めていたから」起こるもの、という考え方なのである。(諸説あります。反論もあるかと思います)

今、男が陽で、女が陰、と書いたが。

・・・・今の世の中、果たして、女は「陰」の存在だろうか?

映画にショッピングに海外旅行。大学進学に社会進出に自己実現。「陽」の存在が世の中にたくさんありすぎて、今の女性は、男以上に「陽」化しているのではないかと思うのだ。

しかし。先ほど書いたように、セックスや恋愛、出産に関しては、やはり女は「陰」でいなければならない宿命を背負っている。アタマばかりが陽化したからといって、体は紛れもない女、すなわち「陰」なのだから。

アタマが「陽」化した女性が、恋愛の時だけは「陰」に立ち返らなければならない。たとえて言えば、太陽系に輝く太陽が、恋愛の時は月にならなくちゃならない、ということ。

そうなると、普通の男では、ダメなのである。普通の男=普通の「陽」では、陽と陽がぶつかってしまい、引き合わない。太陽系に、太陽は二ついらないのである。

では、どうすれば「太陽な女」が月になれるのか?方法はただひとつ、「太陽より100倍でかい恒星に出会うこと」なのである。そういう存在を、「極陽」と呼ぶことにする。

陰・陽は相対論である。陽化したものでも、極陽に出会うことによって、陰の存在になれるのだ。

晴れて、太陽な女性は、百倍デカイ恒星に出会えて、月と化し、二人は結ばれて、仲良くくらしましたとさ。めでたしめでたし・・・・。

なんてことには、ならないのである。

「極陽」なんて言うと聞こえはいいけど、食べ物で言えばトウガラシのカタマリをそのまま食べるようなものである。非常にバランスの悪い存在なのだ。人間一人の器に抱えられるような要素ではない。もし、無理に抱え込めば、荷が重すぎて、キレたり暴力をふるったりするようになる。

この太陽系では、「極陽」という要素は存在できないものなのだ。だって、太陽系に百倍デカイ恒星なんて、入ってこられたら大変じゃないか。一瞬にして、私たちみんな燃え尽きてしまうよ。

その事実がわからない、器の小さい男ほど、簡単にアタマの中を極陽化する傾向にあるのだ。そして、社会との不適応者になっていく。暴力をふるったり、女に金をせびったり、夢やロマンを追い求めて次から次へと女を変えたり・・・例に言う、「ダメ男」というヤツである。

そんなダメ男に、今の多くの女が、ハマっているのだ。

極陽な彼らは、陽化した女の価値観をすべて壊してしまうパワーを持っている。陽の価値観を壊された女達は、本来の陰性に立ち返り、彼らを愛し始めるのである。こうして、ダメ男にハマる女が増えていく。

その関係が、「いやよいやよも好きのうち・・・」くらいのレベルであれば、笑い話で済むだろう。しかし、基本的には極陽の彼らである。彼らの持つ暴力性は日に日にエスカレートし、女からすべてを奪い尽くすのだ。

それは、彼らのせいだけではない。彼らの極陽性は、それを求める女がいるからこそ、存在するのである。今の陽化した女性が、陰に帰りたくなったとき、彼らの存在が不可欠なのだ。

昔は、女性が「陰」の役割を担っていた。何事も控えめに、三歩さがって、表に出ず、自らを輝かせることもなく、男に尽くす、そういう女性が普通だった。そういう女性なら、普通のまともな「陽」男と、恋愛し、結婚して子供を産み育てることができる。陰の女性にとって、「極陽」な男達は必要ない。必要なければ、男達は永遠に、極陽な部分を封じ込めたままで人生を終えることができただろう。

でも、これからはそうはいかない。今の女性は「陽」なのである。女性の陽化は、これからもすすむだろう。そして、それと比例して、「極陽」な男達は、求められていくだろう。とすれば、悲惨な犯罪は、ますます増えていくのではないか。

・・・以上、漫画家のSFもどきな妄想はここで終わるが、もしこれらをネタにストーリーを描くなら、最終話はどうなるのかな、なんて思うのである。ハッピーエンドなんてあり得るんだろうか?解決策はあるのか、この話。

陽化する女性が悪いとは思わない。私だって思いっきり陽化してると思うしな・・・だって、陰でいるのは辛いからね。だれだって、光り輝きたいのだから。

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2006年4月24日 (月)

ジャスト・システムよ・・・

一体どこまで落ちるんだ、ジャストシステムくんよ・・・。

ライブドア事件でストップ安だったところを飛びついたんだけど、それからじりじり下げている・・・。まさかここまで下がるとは。失敗したかしらん・・・。まあ、ここは我慢だ。もう少し下がったら買い増ししようかと思っている。早く上がってくれ~~心臓に悪いよお。

こんな私ではあるが、今、株を題材に漫画描いてます。

締め切りは5月2日。引き続き頑張ります。

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2006年4月18日 (火)

断食中・・・

最近食べ過ぎが続いていたので本日、リセットするために断食。

ああ、おなかすいた・・・

おなかすいた・・・

おなかすいたよおおおん。

意味はない。苦し紛れに書いてみました。

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2006年4月17日 (月)

孤独と友愛

最近、とみに「私は一人じゃないんだなあ・・・」と感じることが多い。公私ともに、色々な人達に助けられ、守られているような気がする。本当にありがたいことだ。

昔は他人に求めてばかりいたよなあ。「私はこんなに頑張ってるのに、なんで誰も認めてくれないの??」なんて、常に不平不満をもらしていた。

面白いことに、その頃の方が友達がいっぱいいた。自分から、ひとりぼっちがいやで、やみくもに友達と予定を作っては飲みに歩いていた。だから、気の合わない友達と遊びに行ってはストレスをため込んでいた。価値観の違う友達に嫌われないように、自分を封じ込めながら付き合っていたんだと思う。

ある日、私はそれを一切やめたのだった。もう、やんなっちゃって。

当然、それからずっと友達もいない日々が続いたりした。お酒は一人で家で飲み、旅行に行くときも一人、なんてこともあった。

寂しいなあ・・・と最初は思っていたけど、一年くらいたって、一人で遊ぶのが面白くなったくらいから、なぜかうまく周りと付き合っていけるようになっていた。

たぶん、孤独感が、周りに感謝する気持ちを鍛えてくれたのだと思う。

今、ケータイやSNSなどが大ヒットしている。ヒットの理由は、「孤独感を和らげてくれるツール」だからだろう。

しかし、孤独感を感じることがなくなれば、きっと「感謝の気持ち」もなくなっていく。感謝の気持ちがなくなると、すぐに他人のせいにしたり、恩を仇で返したり、するようになる。こうして、社会に適応できなくなっていくのだ。

私もケータイやメールにはハマりやすいタチなので、十分気をつけよう・・・。

とにかく、私を助けてくれている周りの人達に感謝!です。

本当にありがとう。

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2006年4月14日 (金)

靖国神社

生まれて初めて行ってきました、靖国参拝・・・。

靖国神社には前から興味は持っていたが、右翼かと思われるのが怖かったので、靖国神社の近くに行っても、通り過ぎるくらいですませていた。が、このたび両親が来て「靖国神社に行きたい」と言うので、ついていったのだ。東京生活15年目にして、初めての経験だった。

で、参拝した後、「戦争を美化している」とヤリ玉に上がっているらしい「遊就館」を見学してきた。

いや~、こりゃ左翼からつっこまれてもしょうがないのかな、というくらい、日露戦争イケイケ日本兵、バンザイ!!的なビデオ上映がされていたりしたのは事実。だけど、それを考慮してもなお、見学を終えた後、私は素直に思ったよ。

「日本の首脳陣には、参拝してほしいなあ・・・」と。

そこには、戦死者の写真や遺品ががたくさん展示されていた。19才とか20才とかいう若き青年達の写真が、ずらーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと。中には若い女性もいたり(看護婦として従軍したらしい)。

で、びっくりしたのは、そのすべての顔がりりしかったこと!!「長く生きてたら、大きな事を成し得ていただろうなあ・・・」と思わせる顔、顔、顔!!

遺書なんか読んでたら、思わず涙するよ。達筆で、しっかりした文体で、親と祖国を思う気持ちにあふれ、骨太な志を持ち。。。うううむ、今の20代の若者達よ、彼らの爪のあかでもフケでもいいから、煎じて飲んでくれといいたいくらい。

A級戦犯がどうのとか、あの戦争は間違ってたとか正しかったとか。そういう議論で埋め尽くされている靖国問題だけど、そんなのは「後付の理屈」なんだよな。平和な時代にのうのうと生きている私たちの頭のなかで構築された論理で、彼らの命を語るのはすげ~傲慢なんじゃないのかな、と思ったよ。

これは理屈じゃない。命の問題だ。

確かに戦争はよくないことだし、帝国主義もよくないことだったのかもしれない。でも、それは今の論理でしょ。平和が構築された後の、私たちの論理だよね。

欧米列強との戦争は、その時代は、スバラシイことだって思われていたわけだよね。その時代に生きていた若者達は、それに殉じた、ということでしょう。それも命がけで。

それを、今の平和な世の中の机上の空論で、「それは間違っていた」なんて決めつけて、彼らのやったことを否定する権利は、私たちにはないんじゃないのかなあ・・・。

百歩ゆずって、仮に「間違った価値観」だとしても、参拝を反対するのはいかがなものなんだろうか。

命、の問題だからね。これは。

私が、彼らの遺族だったら、遺族の、孫とか、直属の子孫だったりしたら。

国の首脳陣には、参拝して欲しい、って思うんじゃないかなあ。

だって、彼らは、その時代には、絶対的な存在だった「日本帝国」のために死んだのだからね。今はどうあれ、過去は正しかったわけだから。そのために、おびただしい命が奪われたんだからね。彼らに対する真摯な気持ちは、持つべきだと思うよ、人間として。

う~む・・・。

今までは正直、どうでもよかった靖国参拝問題。

本日から、気が変わった。

小泉首相、退陣の前に参拝を!!しかも8月15日に(爆)!!

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2006年4月11日 (火)

小沢=青い鳥論

「小沢待望論」。何度、本や雑誌やインターネットで見てきたかわからないこのコトバ。ずいぶんと待たされましたが、やっと叶いましたなあ・・・。小沢ファンの皆様、おめでとうございます。

小沢党首の誕生で、民主党も今までよりはマシになるとは思う。

しかし私にとっては、小沢党首その人より、小沢ファンの人達の方が気になる存在だ。

「小沢待望論」なるコトバが定着しているように、彼を信奉する人は非常に多い。なぜか、男に多い。しかも、偏差値の高い男に多い気がする。それと、言っちゃ悪いが地に足ついてない男に多いね(笑)。よく言えばロマンチスト、なのだろうけど。

そのタイプの人たちにとって、小沢はばっちりストライクゾーンに入るらしいんだな。一体何故なんだろう・・・。あの悪代官のような顔がシブいのだろうか。まさかなあ・・・。

話は変わるが。

大分昔、H君という人と飲んだことがある。そういえば彼も小沢ファンであった。彼は東大を卒業され、エリートの道をひた歩んでおり、妻子もいて、幸せな家庭を築いている。そんな彼は、私の前で、昔の彼女の話をえんえんと話していたのであった。「彼女が忘れられないんだ」と。

「どんなにがんばっても、彼女とはうまくいかなかった。別れてから1年半も、落ち込んだ。今でもずっとそのことを思い出す。等々・・・」以下、未練話が続く。

ええと、ちょっと待って、今の奥さんは?・・・と、私が問い返すと。

「ああ、別に・・・空気みたいなもんだよ。子供できると、女って変わるよねえ。まったく男をなんだと思ってるんだろうね。等々・・・」以下、奥さんの悪口が続く。

そして、一言。H君は言ったのだ。

「昔の俺は未熟だったから、前の彼女とうまくいかなかったんだ。今の俺なら、うまくいくんじゃないかなあ・・・」(遠い目)。

こんなこと言ってる時点で、彼は全然成長していないのだろうなあ、と正直思ったが、そんなこと、彼にとってはどうでもいいことなのだ。彼にとって大事なのは、「うまくいくんじゃないかなあ・・・」という幻想そのものなのだから。私は、仕事柄、男の恋愛話はよく聞くほうなのだが、こういう事を言う男は、必ずといっていいほど、「頭がよく」て「ロマンチスト」な男である。

「頭がいい」と、現実にうまくいかないことを受け入れることに慣れていない。だから、あらゆる想像力を駆使して、虚構の自分を作り上げ、そこに現実逃避するのである。かくして、多くの頭いい男達は、地に足ついてない・・・いやロマンチストになるのである。

もちろん、彼のような男が、過去の彼女と、本当に付き合うことは絶対にない。本当に付き合ったら、それは現実になってしまい、虚構の逃げ場所がなくなってしまうからだ。彼らにとって、それはとても生きづらいことなのだろう。

つまり、「過去の彼女」とは、「永遠につかまらない青い鳥」のことなのだ。永遠に手に入らないからこそ、美しく、手に入ってしまったら色あせる。そういうものなのだ。

長い脱線だった。

賢い読者の皆様であれば、もうおわかりだろう。

「小沢は、青い鳥」なのである。

小沢は、現実の人にならなかったからこそ、小沢ファンにとってのあこがれとなり得たのだ。偏差値が高くロマンチストな男達は、小泉首相がどんなに実績をあげたところで、興味を持たない。小泉首相は、現実の人だからだ。そして、「こんな世の中を変えてくれるのは、きっと小沢だ!!」と思うことによりカタルシスを得るのだろう。

だから、「小沢待望論」なるタイトルをつければ、それは売れる。カタルシスのあるものは売れるからだ。マスコミは、ちゃんとそれを心得ていて、小沢をことさら持ち上げていたのかもしれない。

しかし、これからは、小沢は青い鳥ではなくなったのだ。何しろ二大政党の一翼を担う政党の代表なのだから。小沢党首は、現実のリーダーとして、これから活動しはじめるだろう。現実のリーダーは、カッコいいことばかりやるわけではない。むしろ、カッコ悪い仕事の方が多い。永田議員みたいなイタズラ坊やにお尻ペンペンとか、色々大変なのだ。

今後、小沢ファンにとって、そして小沢ファンに読んでもらうために記事を書いていた作家たちにとって、「小沢・現実ヴァージョン」をどう捕らえるのだろうか。美しく舞っていた青い鳥である小沢が、現実の人になったら、がっかりするのではないか。そして、新たな「青い鳥」を探し始めるのではないのだろうか。

しかし、小沢党首に匹敵する、次なる「青い鳥」になれそうな政治家がいるのかというと、いない気がする。そしたら彼らはどうするんだろう・・・。

う~む・・・彼らの幸せを考えると、小沢党首にはやはり、永遠に青い鳥になってもらってた方がいいかもね。

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2006年4月 9日 (日)

国家の品格

今、ベストセラーになっている「国家の品格」を読んだ。

賛否両論あるみたいだけど、普通に読み物として読む分には非常~~に面白かった、というのが率直な感想。

いや、後半になるとやたらと国粋主義が鼻についたり、経済的なもの、お金的なものを一緒くたに「汚いモノ」と決めつけてしまうような安直さがあったりはするけどね。それを除けば、「よく書いてくれたな~」と素直に思う。

この本、簡単に言うと「論理や合理性はすべてじゃないよ。本当に大事な事って論理じゃ説明できないことなんだよ。一番大事なのは情緒なんだよ。」という本なのだ。それを、最も「論理的~」と思われていそうな数学の分野で活躍されている学者が書いてくれたもんだから非常に説得力がある。

この本を読んで、溜飲を下げた気分でいるのは私だけじゃあるまい。

論理派ぶっているヤなヤツってこの世には一杯いるけど、どうも言い返せないんだよね。そういうヤツって、堂々と論理で攻めてくるから、こっちまで論理で返さなければならなくなる。

でも、私が言いたいのは「いや、論理以前の問題なんですけど」。

だって、論理派ぶっているヤツの、非常に多くの人が、単なる「嫉妬心」とか「劣等感」とか「女(男)にもてたい」とか「嫌いなヤツを陥れたい」とか、己の邪心を正当化するための論理だったりするんだよね。

でも、そんなこと指摘しようものなら、相手にとっては絶対に認めたくない部分なわけだから、(だからこそ、理論武装でごまかしているのだろうが)、私もそんな核兵器ボタンを押しづらくてさ。黙っている訳よ、私のような心優しい人達は(爆)。

・・・そうしたら、相手は不適な笑みを浮かべて勝手に勝利者宣言し始める。彼らは、「より論理的であることが勝利の証」と信じているらしいのだ。ああ、私は今まで何度、そんな奴らと一緒に飲んで悪酔いしたかわからない。

この本には、とても鋭い指摘がある。

「論理には、出発点が必要である。」

ということ。だから、出発点が間違っていたら、論理が正しいことに意味はなく、それどころか、論理が正しければ正しいほど、悲惨な結果をもたらす、ということなんである。

大抵の人間は出発点間違えちゃうんですから。上記のような「嫉妬」とか「好き嫌い」とかが出発点になるんですから。

だから、私がこの本にひとつだけ付け加えるとしたら、「人間は、ほとんどの場合、出発点を間違えてしまう生物である」ということ。そこは筆者と違う意見だなあ。まあ、私がしょーもない徳の持ち主だからそう感じているのかもしれんが。

この本は、「武士道精神」を理想として掲げていて、「理論」ではなく、「惻隠の情」とか「わびさび」とか「弱者に対する哀れみ」とか「卑怯を憎む心」とかを取り戻せ、とか書いてある。

私はそれは反対というか、ちょっと無理だと思う。

今更、武士道精神を取り戻そうとしたって、「武士道を気取った我欲オヤジ」達が増えるだけなんじゃないか。自分では徳が高いと思っているけど、やってることは卑怯そのもの・・・なんていうオヤジ、今だって一杯いるぞ。それこそ困る。本当に、上記の「論理派ぶったイヤなヤツ」以上に困る。

私たち我欲にまみれた人間達にできることは、せめて、「自分は徳が低い」と思って謙虚に生きる、ことくらいなんではなかろうか。

だから、この本のように、お金を「汚いモノ」って決めつけるのはいかがなものかと思う。それって、お金を悪者にして自分を美化してるみたいじゃないか。そういう綺麗なこと言うヤツに限って「お金大好き」だったりするんだから。

だから、私は声高に叫ぼうと思う。「私はお金が大好きだ!!私は汚い人間だ!!」と。そして、謙虚に生きて、いけたらいいな・・・・と思う。できるかどうかはわからないが。

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