根性道精神
grounderさんのブログを読んで深く反省。以下引用。
あまりにも美談、ヒーロー化されると結果、この連投が認められてしまう。メディアや評論家で問題意識を持った人でさえ発言しにくくなる、ように思う。体験していないが戦時中の特攻隊ようだ。
grounderさんは、高校野球の連投を美化しすぎて、斉藤、田中両投手の才能をつぶしかねない危険性を示唆している。全く同感。っていうか反省。よく考えたら、15回延長の末翌日再試合ってのはあまりにもシドすぎるよな・・・。
いやあ、私もついついついつい両投手の根性に感動して、二人の今後とかぜんっぜん考えずにキャーキャー騒いでるだけでしたわ。
許して・・・だってカッコよかったんだもん・・・。
本来、努力・根性論が嫌いな私ですらも、この試合には心から感動した。ということは、やっぱり日本人には努力・根性を美しいと思う心が根付いているのかもしれない。
しかし、いくら根性論が根付いているからといって、せっかくの才能をつぶしてしまうのはあまりにも罪深すぎる。
最近、努力・根性をあまりに美化しすぎるのはいかがなもんだろうか?という時代になってきている。それがなぜなのかはわからないが、多分、それだけで勝者が決まるわけではないという現実は、受け入れざるを得ない。
私が思うにですね。
努力・根性論というものは、「論」というよりは、「道」をつけて呼んだ方があってるんじゃないかな。
根性道。
武士道精神と同じように、「根性道精神」と呼ぶようにする。そうすれば、よけいな幻想を抱かなくてすむのでは。
「武士道精神」は、その美しさは誰もが認めている。しかし、いくら美しいからといって、まさか切腹なんてさせられないだろう。
「根性道精神」も同じように考えるべきなのだ。
根性は美しい。しかし、やっぱり現実の若き才能あふれる人材に、根性道を全うさせて才能を早死にさせてしまうべきではない。
「根性道」は、私たちのノスタルジーの中で満足させればよいのである。
これからの時代劇には、武士ではなく、「根性道」を全うする高校球児たちに登場してもらって、私たちのノスタルジーを満足させてほしい。
私たちはそれを見て感動し、勇気づけられ、日常的な努力をする・・・というのが理想的だ。
・・・無理かなあ・・・。
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