ここ一週間、かけっ放しのBGM。
中島みゆき「大吟醸」。
あの~日々は消えても~まだ~夢は消えない~君~よ歌~ってくれ~僕~に歌って~くれ~忘れ~ない~忘れ~ない~ことも~ここに~ある~よと~~(熱唱)
やっぱり、みゆきは、イイ!!さすがは北海道出身(←関係ない)。
ワタシは、基本的に、女性シンガーが「僕」という一人称を使って謳う曲はあまり好きではなかったりする。
女性の歌手が歌ってるのに「僕が君を守る」みたいな詩の曲は多い。ワタシはそのテの曲を聴くと、どうもなんつ~か、嘘寒さを感じてしまうのだ。
思うに、女性シンガーが使う「僕」とか、男性シンガーが使う「あたし」っていう代名詞って、「照れ」とか「逃げ」と隣り合わせのような気がする。
女性が歌う「僕が君を守る」的な詩は、本音をぶっちゃけていうと、
「あたしを誰か守ってくれ~~~!!!!!」
という、他でもない、彼女自身の心の叫びが正体だったりする。だったら、それをそのまま歌えばいいと思うのだが。
そのまま表現するのは照れくさいし、そこまで寂しい自分を認めるのがイヤだから、男性一人称を使ってカッコつけようという、浅ましさが見え隠れする。全部がそうとは言わないが、危険な表現方法ではあると思う。その浅ましさを、名曲にまで昇華するのはかなり難しい。
しかし、中島みゆきの歌う「僕」は許せるというか。見事に名曲にまで昇華してるんだよなあ。
「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」(空と君のあいだに)なんてみゆきに謳われちゃうと、「おお、ワタシのために悪になってくれ!!」と、素直に思えてしまう。(←思うなよ・・・)
この違いはどこから生まれるんだろう?
話は変わるが、ワタシは「世界平和」を語る人がとても苦手だったりする。そこらへんの我欲たっぷりな俗人が「世界平和のために」なんて言ってるのを耳にすると、「ハア??オマエみたいな強欲人間が60億人集まれば戦争が起こるの当たり前だろ」と思ったりする。
でも、黒柳徹子や、美輪明宏が「世界平和」というのは、素直に「その通りだな」と思ってしまう。
この違いは、どこから生まれるんだろう・・・。
この二人は、かなり「人間」から昇華した存在である。半分神様(妖怪?)が入ってるというか。そういう人が語るからこそ、「世界平和」の価値が伝わってくるのだ。
これは、中島みゆきが「僕が君を守る」と謳うのが許せるのと、ちょっと似ている。美輪明宏が「人間」を昇華した存在であるように、中島みゆきは、「女」というものを昇華した存在なのかもしれない。だから、彼女の謳う「僕」の歌は、伝わってくるのだ。
なぜ、中島みゆきは「女」を昇華できたのか?
彼女が謳う「女」の詩は、これ以上ないくらい暗いモノが多かった。恨み節、孤独、別れ、涙、死・・・。女のもつ宿命である、「陰」の部分を、彼女ほど謳いきったアーティストは他にいないだろう。
「陰極まれば陽となる。」易の考え方である。極めれば陰陽は転じることができるのだ。
極限まで「女」を表現したからこそ、彼女は「女」を昇華できたのではないか。昇華できているから、浅ましさを微塵も感じないのだ。中島みゆきには、これからも「僕」の歌をたくさん生み出して欲しいモノだ。
・・・なんて、へりくつ書いてしまったけど、名曲に理屈はいらないよな。反省。名曲に出会ったら、ただ口ずさむのみ。
僕~は悪にでもなる~♪
(なってくれ、あたしのために!!)
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